2016/01/13

さようなら、そしてありがとう。


昨日はふとずっとある人のことを考えてしまい...

ブログに書いてみようかなという気持ちになったので
今日はそうすることにしてみました。


ちょっと長くなりそうですが、
一気に書いてしまいます。



昨年11月の福岡での
ミネラルショーの初日、
博多駅から乗ったバスを
会場近くのバス停で降り、
コーヒーを買った後、
会場へ向かって歩いている時に、
携帯電話にアメリカのある友人から
メールが届いていることに
気がつきました。


彼女からメッセージが届いた時点で
が起こってしまったのかを
察知してしまいました。


メールをくれた彼女とその夫の
友人夫婦は、
私がアメリカに滞在していた時に、
とてもとてもお世話になった二人で、
私が現在このように幸せに
過ごすことができているのも、
二人の愛があったからこそ、と言える…


大げさに聞こえてしまうかも
しれないけれど...
私のこれまでの人生において、
とてもとても重要な二人なのです。
(*その他にも、2カップルほど大変お世話になったファミリーがいます。)


二人とは、
当時通っていたカレッジのゴルフの
クラスで出会い、

自分の両親よりも年上の
クラスメート”でした。
(必修クラスである体育のクラスで、私はゴルフを選択した。)


旦那さんのドウェインと
ゴルフのラウンドを回るようになった
奥さんのシャロンが、
スキルアップのために
クラスを取り始めたのだけれど、
”クラスに日本人がいる”と聞きつけて、
以前日本に住んでいたことがある
ドウェインも
毎週クラスへ来るようになり、
やがて一緒にクラスを
受講するようになったのでした。


ドウェインは、
1950年代のアジアでのバトルの時代、
衛生兵として軍から派遣され、
そして、日本に滞在していたことが
あったとのことで、
日本にはとても親しみを持って
くれていました。


滞在中、軍の寮が
築地の魚市場の側にあったそうで、
その市場の匂いが部屋に
時々漂ってきていたとのこと、
その寮のルームメイトと
"ガスマスク”を付けて、
二人でふざけて撮った写真を
見せてくれたことがありました。


日本語の単語もいくつも知っていて、
会話はできないけれど、
時々その単語を発音しては、
私に通じたことに
とても満足そうにしていました。
その様子に、私もとても嬉しく
感じていました。


赤坂に住んでいたことも
あったそうで、
1980年頃、
一度二人で日本へ来た時に、
以前住んでいた場所を探しに、
赤坂へ行ったようですが、
見つからなかったと話していました。
その話を聞いて以来、
私は、密かに
"いつか二人と赤坂へ行って、
その場所を探そう!”と
考えるようになっていました。


そのゴルフのクラスの
クラスメートだった当時、
食事に招待をしてくれて、
当時、お金を節約するために、
ファストフードの
99セントのハンバーガーや
サンドウィッチを食べていた
私にとっては、
”温かい”心のこもった料理が
とてもとても美味しく、
また心が温かくなる時間でした。


お宅にお邪魔した時には、
ドウェインが日本に住んでいた当時、
1950年代の日本の
写真を見せてもらったり、
50年代によくあったと思われる
”喫茶室”??のマッチの
コレクションを見せてもらったり、
日本で買ってきたという日本人形を
見せてもらったり、
箱根に一人で行った時の写真を
見せてもらったり...


ドウェインは、
私たちがイメージする愉快な
アメリカ人とはちょっと違って、
とても口数が少ないアメリカ人で、

私が思うに...
おそらく一日に発する言葉の数は、
400字詰め原稿用紙1枚分くらいでは
ないか?と思われるくらい
おとなしい人。


箱根で何人かの日本人と
写っている写真もあり、
そんなに口数が少ない彼が、
当時英語を話す日本人も
少なかっただろうに、
どうやってコミュニケーションを
したのだろう?
と不思議に思ったりしていました。


けれども、
そのブルーの大きな瞳と、

大きな声で笑ったり、
たくさん話したりはしないけれど、
私の話に耳を傾けながら
いつも見せてくれる優しい笑顔には
たっくさんの愛情があふれており、
そんな彼の人柄の良さは
言葉を発さなくても、
周りの人に感じさせるものだった
のだろうなぁと、想像します。


その後、私が日本へ帰国してからも、
私が彼らに会いに行くたびに、
田舎町の小さな空港へ迎えに
来てくれ、 


空港で迎えてくれる時、
そして、別れる時、
いつも彼がくれるハグは、
こちらが息苦しくなるくらいに
とてもとても強くて、


普段、感情の表現が小さい彼が、
こんなにも強いハグをくれる
彼の愛情に、
いつもいつも感動し、
彼との別れの時には、
自分でもびっくりするくらい…
毎回、しゃくりあげてしまうほど
涙があふれてしまうのでした。


一時的に別れるのさえ、
そんなふうにつらいと感じていた
彼との”永遠の別れ”が
とうとう来てしまいました…


ドウェインは、
軍での仕事が終わった後、
その小さな町の郵便局長を
(局員は1人だけ)しており、
私は、学校があった町や
住んでいた町の郵便局で
郵便を出さずに、
20キロくらい離れた
彼の住んでいた町へ
郵便を出しに行き、
そしてその日は、
ごはんもごちそうになって
自分の家へ帰る...という事を
時々していました。


当時、
アメリカの電話料金のシステムは、
市内は無料だけれど、
市外だと急に高くなってしまい、
特に公衆電話料金は高くて、
電話ボックスから彼らの家へ
”行ってもいい??”と
確認の電話をかけようとすると、
2ドル以上かかり、(当時の私の1食より高い!!)
そのような出費は痛かったので、
連絡をせずに
いきなり行ってしまうことも
しばしばで、
それでも、そんな私を二人は
いつも笑顔で迎え入れてくれました。
そして、それにすっかり
甘えてしまっていた私。
その交流が
私にとってはとってもとっても
幸せな時間でした。
彼らのおかげで、
ホームシックにかかることは
一度もなく
アメリカ滞在の時間を
過ごすことができたのかもしれません。


一度、こんなこともありました。
当時、私は学校から45キロほど
離れている町に住んでいて、
毎日車で通っていました。

そのうち、アルバイトも始め、
勉強の時間、アルバイトの時間、
家からの往復の時間を入れると、
ステイ先から学校へ通うのが
キツくなっていました。

それで、学校のある町で
暮らせないかな?と考えていた時に、
ルームメイト募集のチラシを見つけ、
すぐにその家を見に行き、
その人と一緒に暮らすことに
決まったのですが、
週末が明けて、その人へ連絡すると、
”やっぱり別の人とシェアすることにした”と言われ...


今考えると、パーティ好きだった
彼女とは
ルームシェアをしなくて良かったと
と思えるのですが、
 
新しい生活が始まると
とても楽しみだった私は、
それなりにショックだったようで、
気がついたら、
彼らの住む町へ車で向かっていて、
いつものように、連絡をせずに、
彼らのうちのドアをノックしていました。


シャロンとお茶をして、
そんなことがあったと話していた
のだったかな?
どういう経緯でそうしたのか
忘れたのだけれど、
話をしていたダイニングテーブル
から移動して、
シャロンとソファでお互い、
横になることにしました。


そうしていると…
私の目から涙がどんどん溢れてきて、止まらなくなっていました。


そのタイミングで郵便局から
偶然帰宅してきたドウェインは、
何かを察知してくれたようでもあり、
何も言わずに、すぐに外へ出て行った
ドウェインへ、
シャロンが説明をしに
部屋を出て行っていた様子でもあり… 
はっきり覚えていないけれど、
そのうち、私は眠ってしまったような記憶があります。


目が覚めても、
二人はいつもの温かい笑顔と会話で
私を包んでくれて、
家族の愛がこんなにも温かく、
とても安全なものなのか...と
心の奥深くに染みていったように
感じた記憶があります。


シャロンが作ってくれるサンドイッチは、
とーっても美味しくって、
私は”世界で一番美味しい!”と
思っていて、
そのサンドイッチを
ディナーに食べながら、
3人でテレビのクイズ番組を見たり、
映画を見たりする時間が
とてもとても幸せな時間でした。


ドウェインは、物知りなので、
たいていのクイズに
答えることができ、
その時、何となく彼が”満足気”に
している様子が
とても微笑ましく感じ、
またとても好きな時間でした。


彼らとのそのような
”なんでもないような日常”の時間が
私のハートが”あ〜、幸せだなぁ”と
とても実感する瞬間でした。


ガンと診断された、
と一昨年の9月に聞き、
けれども、
その後の治療の様子を聞いていると
調子も良好の様子だったので、
ドウェインのことは
それほど心配していませんでした。


何か問題があったら
すぐになおしてくれる、

尋ねると、
何でも答えることができるくらい
何でも知ってる、

大きな懐で
私のことを受け止めてくれる、

80歳を過ぎても、
ゴルフもボーリング(マイボールを持っていた!)もこなしてしまう、

”クリントイーストウッド”みたいなジェントルマンで格好いい、 

大きな大きな手を持ったドウェインは、
私にとって
”スーパーマン”でした。


だから、
とってもとってもびっくりしました。


今回の病でまさかいってしまうなんて
考えてもいませんでした。
私には、
心の準備ができていませんでした。
 

これからも何回もあの息苦しいハグをしてもらうつもりでした。


赤坂へ一緒に行って、以前彼が住んでいた場所を探しにもまだ行ってないではないか!


そう思ってしまいました。


もし東京にいて、
仕事の入っていない時だったら、
私は次の日の便で、
きっとお葬式に駆けつけていただろうと思います。
 

ドウェインは、お葬式だけのために
アメリカへ来なくてもいい…と
私がそんな行動を取れない、
そんな日を選んでくれたのかな、
とちょっと考えました。


福岡でショーが始まり、
会場で過ごしている時、
時々”煙草の匂い”がすることが
ありました。
でも  、会場で煙草を吸っている人は
いないはずだし、
おかしいな?と感じていました。


何回もそのようなことがあり、
ふと、隣のテーブルの人に
”タバコの匂いがしますね?どうしてかな?”と話していると、
”いや、匂わないですよ。”と
彼からの返事。


しばらくして、また匂ったので、
そう伝えてみると、
”いや、匂わないです。
あ、でもよく言いますよね、
亡くなった人がそばに来てくれると
その人の匂いがする、って”と、
ドウェインが旅立ったことを
知らないその人が
そんなことを話してくれました。


”実は、今朝、友人が旅立ったんです。
でも、彼が旅立った時、
分からなかったから
残念に思っていたんです”
と伝えると、
”あー、じゃあ、その人が 
”挨拶に来た”と伝えたかったんですね”と。


以前ドウェインは
ヘビースモーカーでした。
病を発してから
止めていたようだけれど、
”タバコ=ドウェイン”は、
ありえる”サイン”だなぁと思いました。


数年前、
やはりアメリカの友人が旅立った時、
彼女が旅立ったという時間、
彼女の”Bye,Tomoko”という声が
私のハートに響いたことが
ありました。


”今回はドウェインの声は
聞こえなかったな”と
少し残念に思っていたのだけれど…
今回もちゃんと来てくれたんだ!と、
とても嬉しく、
そして、
彼の愛にとても幸せに感じました。


シャロンが、いつか話してくれたことがありました。
「私たちはね、
”あなたにまた天国で出会うことが
できますように”と祈るために
教会へ通っているのよ」という
言葉でした。


クリスチャンではない私には、
そのあたりのコンセプトがよく
分からなかったけれど、
仏教の文化に育った私たちが
慣れ親しんだアイデアで考えると...
”輪廻”の中でまた再会できる!と
考えるのと同じだな、
と嬉しい気持ちになり、
それを望んでくれている
彼女たちの気持ちにも
とても嬉しく感じました。


きっと、私たちの友情関係は、
ずーっとずっと以前からであり、
だから、今回出会ったのであって、
そして、これからもまたいつの日か
また出会って、
そして続いていくものだと、
とても嬉しい気持ちでいます。


彼の長い人生の一部の時間に、
私を友として迎え入れてくれて、
そして一緒に過ごしてくれたこと、
そして、幸せを体験させてくれたこと…


たくさんの感謝の気持ちとともに、
ドウェインを見送りたいと
今は思っています。


アメリカ人に言うと、
”墓に行っても彼はいないよ!”と
言われてしまうけれど(≧∇≦)、
今度アメリカに行ったら、
お墓まいりに行こうと思っています。



きゃー、今日の記事は長くなっちゃいました。お付き合い、ありがとうございました!



*パソコンに問題発生中。携帯からのアップのため、読みにくい点があったようであれば、お許しください!


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