2014/08/28

”とんでる”ウチのばあちゃんとの2014年夏の思い出☆

実家から見えた隣町の花火

今月の毎週末は、実家へ帰り、福岡から来てくれている祖母と過ごしている。

祖母は当初、福岡へ会いに行った私たちと九州旅行をした後、東京へ来る予定ではなかった。夏の始まりの頃から、頭がぼ〜っとする症状が続いていたらしく、旅行もあまり自信がなかったようだったけれど、2泊3日の旅にがんばって参加してくれた。

ところが、その旅行で自信がついたのか、とうとう祖母は、「もうあんたたちと一緒に行っちょこう(一緒に行っておこう)」と東京まで来てくれた。いつも上京すると、2,3ヶ月どころか、もっと長く滞在してくれる。年を越してお正月を東京で一緒に迎えたこともある。

祖母は、とってもおしゃべり好きで、会話のいろんな箇所に反応して、いろいろと話題を思いつき、昔の出来事を思い出し、とにかく話題提供をしてくれる楽しい女性である。同じ話を何回も聞かされることもあるけれど、92歳の祖母の脳はまだまだ”シャープ”で、”とぼけて”いない。観察眼もものすごくあって、後になって、少し前の出来事を私たちの素行を交えながら話すこともある。祖母の前では、こちらも気を緩めてはいられない。けれども、そんな祖母は、どちらかというとおしゃべりな人がいないウチの家族にとっては、とても貴重なムードメーカーで、とてもありがたい存在なのである。ウチの中にとても楽しい空気が吹き込んで来たようである。だから、数ヶ月滞在してくれるのは本当にありがたいと思っている。

祖母は、熱心な仏教信者で、毎朝日が昇る前に実家のバルコニーのベンチに座って、東の空に向かって”勤行”をする。2,3時間も座りつづけていることもある。実家は、ありがたいことに夏の間も涼しい風が入ってくるので、南側の外に出て過ごしていても、早朝であれば暑さを感じるどころかとても清々しくて気持ちが良いらしく、一度やり始めたら止められないのだそうだ。

私は実家に帰ると、涼しいのでリビングで祖母と布団を並べて寝ている。私は、とても敏感な方なのか、一緒に寝ている人が目を覚ましたり、布団から出たりするとたいてい目が覚めるのだが、祖母がそんな早朝に行動を始めても全く気がつかない。が、この日の朝は違った。


まだ寝ている私の頭に何かが降って来た!

えっ?!!

寝ぼけている私には何が何だかといったことを考えるヒマもなく、
ただ、私の視界に祖母の姿が飛び込んで来たのが分かった。


”降って来た”のは、祖母だった。


私たちが寝ていた枕元にバルコニーへ出入りする窓があるのだが
その窓の下が10センチほど高くなっていて、祖母の話によると、どうやらそこから
ジャンプをした時に、着地に失敗したらしい。

おばあちゃん...(汗)。


(私)「ばあちゃん、まだジャンプとかするん?? すごいねー」

と後になって、朝食の時に私がそう聞くと

(祖母)「うーん、そうねえ。案外ジャンプとかまだするんよね〜」

とまるで他人事のようにのんきに答える(汗)。おそるべし、おばあちゃんである。


先日も、就寝しようと布団に入った時に、例のごとくいろいろとおしゃべりが続いていた。祖母は眠りにつくのが難しいらしく(これでも案外神経質なところがある)、睡眠を助ける薬を就寝の30分前に摂るようにしている。それでもいつもおしゃべりが続くので、私はしょっちゅう”今晩は薬はまだ効かないのかな?”と話を聞きながら、いつもそう考える。

この日もそんなふうに考え、そろそろ眠りたいな〜と思っていたのだが、眠る時の姿勢についていろいろとレクチャーをしてくれた。NHKの番組で見たとか、かかりつけの病院の先生に聞いたとかそんな話だったと思う。


(祖母)「それでね、右の心臓はいいばってん、左の心臓は上に上げるようにせないかんと(しないといけない)

(私)「ん? ばあちゃん、心臓が2つあると?」

(祖母)(自分で笑いをこらえながら...)「ん?なんね、心臓は2つないとね?」

(私)(大爆笑)

(祖母)(引き続き笑いながら)「心臓は2つないとね?」

そして、続けて

(祖母)「左の心臓をね、上に上げて眠るとよ。そうばい。」


と笑っている私にはおかまいなしに、自分の話したい話を終わらせる。話は最後まで話さないと気がすまない性分である。


ひさしぶりに大笑いした。来月93歳になる祖母にとって、心臓が1つであろうと、2つであろうともうどっちでもいいだろうと思ったので肯定も否定もしなかった。大爆笑でその日の会話を終わらせて、就寝を終わらせることができたのが幸せだなあと思った。


実は、この祖母には、困った趣味がある。これについてはまだ書くかどうかは決めていないが、この”とんだ”おばあちゃんとの東京で過ごす時間はまだ続くようで嬉しい。1ヶ月で福岡へ帰る予定だったのだが、いつの間にか彼女の中で、”まだ帰らない”気持ちが固まったらしい。

いつもは”あと一回は(東京へ)来れると思う”、”東京へ来る時は迎えに来んでもいいと!(”来なくてもいい”という意味。これを言う時はわりと強気の口調で言う。)。口があるけん、自分で来れる。(”分からなかったり、迷ったりした時は、人に聞いて助けてもらうから大丈夫”という意味らしい。)”と来るたびに毎回言うのだが、今回は”今回が最後だと思う”と言う。その肉体を”扱ってる”祖母がそう言うのだから、そうなのだろう。自分の体力でどれくらいのことができるのかどうかは分かっているのだろう。以前の私であれば、”もう〜、そんなこと言わんどってー(言わないで)”などと言っていたのだろうが、さすがに最近の様子を見ていると、祖母がそう言うのだから、もう来ることはできないのであろうと思う。そして、その言葉を受け入れようと思う。

花火が好きな様子で、実家の町の花火がうちのバルコニーから見えたという話を私に何回もしていた祖母は、翌週、隣町で打ち上げられている花火が見えるポジションをリビングに見つけ、その日、家族で観戦していたバレーボール全日本の試合を見ながら、花火を楽しんでいたようだった。

(祖母)”まぁ〜、ちょっと見てごらん。きれいやけん。”

と言ったかと思えば、

(祖母)”木村さんががんばっとんしゃー。(がんばっていらっしゃる)
”竹下さんはどうしたとね。(以前までプレイしていたセッターの選手がいない事に気がついている)

と、花火を鑑賞しながら、どうやらバレーボールの試合にもついて来ているようである。
祖母が言うには、私たち(私と妹たち)の部活動の試合をよく見に行っていたので(3人ともバレー部だった)、”見につけとう”らしい。ライン際のボールも、INだとかOUTだとかよく見ている。動体視力もまだまだ元気らしい。

別の日、テレビで秋田大曲の花火をやはり興奮気味で見ていたので、

(私)”ばあちゃん、来年これを見に行こうよ!だから足の強さをこのままキープしておいてよ。”(実家のマンションにはエレベーターがないのだが、5階の部屋までの階段の上り下りができる。それもわりとスイスイと。)

と話すと、

(祖母)”まあ、そうね、じゃあ、このまま東京へおっちょかないかんね〜。一回福岡へ帰ったらもう出て来れんもん。”

と言う。このまま来年の夏までこちらにいるかもしれない。ウチの”とんでる”ばあちゃんであればそんなこともあり得るかもしれない...。


元気で”とんでる”ウチのばあちゃんとの時間はまだまだ続く...☆。


4 件のコメント:

  1. す、す、す、素晴らしいおはぁちゃま!すっごく自慢して良いです。まず、飛行機に乗って東京という雑踏にいらっしゃるのがすごい。しっかりしていらっしゃるし、ホントにお元気!私でも5階までマンションの階段をあがるのは決心がいるし、バレーボールの選手の名前なんて覚えていないし、おまけにジャンプしちゃうなんて!なんて素敵なんでしょう。ずっとずっとお元気でいて下さい。ともこ!おばあちゃま大切にね♪

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    1. yachiyoさん
      ありがとうございます〜。私たちは100歳までいくのではないか?と思っているのですが、”そんなことになったら迷惑をかける”と言って、そこまで生きるつもりはないみたいです。どうなるでしょうね☆。祖母の生活姿勢を見ていると、ココロとカラダの健康維持について学ばせてもらうことがいっぱいあります。

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  2. 私の祖母は105歳まで生きましたが、途中から寝たきりだったからともこのおばあちゃまにはずっと元気なまま長生きして頂きたいです。

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    1. yachiyoさん

      105歳!素晴らしい〜。さすが、yachiyo家ですね〜!そうですね...健康で長生きでいてもらえたら何よりです♪。

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